Another Days

hanaの日々だぜい!

責めるということは、、

さてさて、ブログ利用法の先は見えませぬるが、まずはどんどん書いてゆきまする。何せアウトプットが足りないので始めたのですw

あたしは精神(思考=脳)と心は別にあると確信している。そして肉体は肉体で、やはり在るんだ。それがこの世に在る私たちなんだ。実はあたしは幼少時より所謂超能力があって、人が科学や理論で説明できない宇宙の事を実体験していて、一種アホみたいに確信を持って語っているんだけどさ。それは体験した事実だから100%疑いがないんだよ。そのかわり知らないことはただ単に知らない。精神・心・肉体なんかも、そういう出来事の中で得た情報からそう思うんだ。その辺のお話はたっぷりあるので、またそのうちしますね。

という訳でもないのだけれど、実は今、決断から逃げている事がある。しかも複数。その為に自分がどんどん追い込まれて、危うく自分を責めそうなところで、ギリギリに持ちこたえている。

自分の場合、そんな情けない弱い自分を鞭打って責めだすと暴力性と破壊力が強いので恐ろしいんだ。この破壊力はそれぞれの精神の強さによる。だからあたしは相当な戦士だ。でも実生活は肉体があるのでその通りにはいかないんだよ。そういうわけで体が受け止めきれずに死んでしまう人も結構多いんだ。ま、それで最初の話に戻るんだけどさ、精神が自己をあたかも客観的に責めるエネルギーって結構すごくて、心はまるで自分が暴力を受けていると勘違いしてボロボロになってしまうんだ。でも実は精神が責めて鞭打っているのは精神自身の単なる思考であり、脳の活動に対して後付で否定しているだけなんだ。でも暴力のバイブレーションは心に届いて作用しまうので注意が必要なんだ。

心は一切の悪気も憎しみも知らないのが心。肉親や兄弟を殺されても心は恨みを持てない。犯人の命が危なければそれを助けてしまうのが心。正義と憎しみと理性的な償いと復讐はすべて精神が生み出す活動。これは人間全てが殆どそう。なぜ殆どかと言うとそこは説明できない。そこがあたしのアホさなんだけど、でもそうなんだ。いつかまたあの世かどこか分かんないけどお知らせが来るかもしれないけれどね。w

さてだから、自分を批判的に思考するには注意が必要だ。よく頭を使えよ。あたし。思考は変えられる。一瞬にして。何の為の脳みそだ?なぜ今その行動をしているのか自分の中を探ってみる事。自分を責めることになる理由を作らない為に、何が起こってそうなっているのか、現実をよく見て選択してゆく事。では、その為にどの道を今から選ぶ?あたしよ。考えてごらん。あたしはもと虐待児。祖母から憎しみのシャワーを浴びせられた虐待児。あたしの親は幼児のあたしを守るより祖父母と離れることが出来なかったアダルトチルドレン。あたしはその子供。でも今はさ、もう大丈夫。あたしはあたしの親であり、何よりあたしはあたし自身のかけがえのない親友だよ。だから大丈夫。