Another Days

hanaの日々だぜい!

そうなったらいいのに

助さん格さん、懲らしめてやりなさい!

いやいやいや、、なんのこっちゃ

そういう風には今の世界は解決できないんだよね。ほんとに難しい。今なんかさ、ISISの人と直接ツイッターで会話が出来る時代だけど、皆同じ人間であちらも猫の画像が可愛いとか言ったり冗談言ったり、Say Helloなんて世界の人と会話してるんだけどさ、話があなたの国に行けるのかとかになると、とたんに、君は100%死ぬとか、死ぬ覚悟があるか、心より改宗すれば殺さない、とかになるんだよ。同じ人なのにほんとに恐ろしい。

あたしが何度も言うように、これは全て人の精神が心を覆い尽くして支配しているからなんだ。もちろん、精神(=思考=意思)も大切。でもね。バランスが著しくそちらに偏っているんだ。

この世界は延々と続く連鎖で殺し合いが終わらない。残念だなあ。あたしなんかが言うまでもなく、貨幣経済に過剰に支配されて貧困を生んでいるという事も根本的な原因だよね。日本なんてお金の為に子供達の未来まで放射能で汚染しつくしているもの。信じられない愚かな人達だ。パパラギという有名な本があるんだけど、これはタヒチ地方の酋長がヨーロッパに行った時の話なんだ。そこでは白い人が怠けるために石や紙(お金のこと)の為に生きている事の不思議さと愚かさについて沢山述べている。あたしに言わせればお金も何もすべて精神が思い付いたいい事なんだけど、全てが脳の活動に覆い尽くされて心を奥に押しやってしまうのでアホな事になるんだよ。

争いって、あっちの物が欲しいとか、あっちがいいとか、人のものをぶん取る事から始まってるのかな。そして殺し合い。恨みと復讐と世界を制覇したい欲の連鎖。なんかメスを奪うために戦い、相手の睾丸を食いちぎって殺し合ってボスになるチンパンジーみたいだ。同じ類人猿の種類でもボノボだと争いになりそうになるとお互いに相手の性器を触って癒し合うんだよ。愛し合うわけ。そして面白いのはチンパンジーは男性社会だけどボノボは女性社会なんだよ。でね、チンパンジーよりボノボの方が言語能力があって知能が高いという結果もあるんだ。

人間もそうなったらいいのに。

瞬間瞬間に捨ててゆく

夜寝完了~。というか、もう朝じゃんか!
つーわけで、昨夜のお仕事も十分に満足。

その理由は輝きと困難とが両方あってどちらもタップリ楽しんだから。あたしの言う困難とは、つまり演奏が上手くいかないという事なんだけれどね。

これは失敗やミスという事も出来ます。が、ただ失敗やミスと言ってもあたし達は一流のプロでであり、あたしは世界に通用するピンのアーティストあると胸を張って人に言えますので簡単なお話ではありません。様々な理由により訪れる演奏・アンサンブルの時間における思考上の不都合とでも説明できましょうか。

でね、そういう不都合な瞬間が訪れた時ですが、たとえば人が上手くいかないことは批判精神など1%も湧かず、愛情タップリにフォローして時間が流れていくものなのです。でもね、自分に関してはなかなかそうは出来ません。

もちろん全てが上手く流れている時は何も言うことはありません。ですが問題は事が起こった時、そしてその後に自分が自分に対してどうであるかという姿勢です。その姿勢こそが、自らの思い通りにいかなかった後の、時間の質を根本から左右するのです。

その点において、昨日はた~っぷり楽しみました。具体的には致命的に上手くいかない事 (これも単に自分がそうと決め付けているのですが。)が訪れたのですが、この瞬間に実際あたしでさえ、現場の音場の状況でハーモニーが瞬時には聞き取れなくなり一瞬焦りました。

んが。。

その時間に譜面を見れば9小節後あたりでトライアード(3和音)が来ると譜面上にある。この混沌の状況では焦ってもがく事無くそれを待つ以外ない。そしてその時を待つと(実際には15秒後程度)トライアードがやってきた。さて、ではそこに合流。というわけ。あはは。簡単なのだ。だがこの簡単な作業が人にはまず絶対出来ないものなのです。そこが変化してゆく時間というものの面白さです。

しかしまあ自分的には失敗は失敗。勿論自分ひとりではなく共演プレイヤーのミスもきっかけで起こったことではあるけど、音楽家は自分に起こる全ての出来事は何が理由であろうと自分の責任と思っているので、やはりあたしのミスという判断が自己の思考を支配する。

さて。それはいい。課題は更にその先。このミスしたと自分で判断した自分をいかに手放しその記憶にさよならするかという課題なんだ。ここがあたしが言いたいダイナミックな面白さ。次の曲に入ったら過去全てを忘れ新しい自分になるという作業をするんだ。もう何もなかったという顔をしてw これも慣れないと苦しくてまず出来ない。だって人はこの社会で責任を取って生きてるんだもの。

でもね、人に迷惑かけたかも。。とか、自分はダメだったとか、どうたらこうたら。。とか考える必要なんてないんだ。全ての記憶を手放し忘れ去ったら、まっさらの新しい自分なんだよ。これがあたし達自身であり、全ての感性は何の囚われも無くなってゆくんだ。それでやっと新しい自分が生まれるんだ。すごいダイナミックな思考の作業なんだよ。

ここで註ね。これは心がどうこうじゃない。心はいつでもそのままそこに在る。すべてを覆い隠してしまうのはあたし達自身の精神=思考ということだからね。

瞬間瞬間にも過去を捨ててゆくことが、音楽の最も大切な姿勢であり、これは人生も然り。自分を断罪し罰したり、人との関係の中で(親って場合も多い)刷り込みに囚われて生き難くなっている人が、全てを変えて幸せに生きるための人生の基本的な姿勢なんだ。

おもしろいよ。

無意識が行う作業

昨年、あたしはどんな苦しみや苦労があっても、それを乗り越えてゆくことに決めたんだ。そう決心したら、先日も相当にしんどい出来事があって2、3日立ち直れない位ダメージを受けたんだけど、全てをありのままに認める作業が、自分の無意識の思考の中でいつの間にか始まっていたみたいで、もう今はその困難を乗り越えるために現実あれやこれや動いている。というかいつの間にか動けている。

この脳内無意識の作業は、あたし自身が欝っぽくなって何もかも動けなくなってしまった時に、Artist Wayという有名な本のMorning Pageというミッションに出会い実行した効果によるんだ。それは毎日ノートに3ページ何でもいいから埋まるまで思いついた事を書いてゆくという作業なんだよ。ルールはただひとつ、書く内容は何でもいい、という事なんだ。書く事がなければ「書く事がない」と3ページ埋まるまで書く。でも人間面白いもので「書けない」とかなんとか3ページもびっしり書いてるうちに何か違うことが思いつくんだよね。そしてふと見た影が綺麗とか、コーヒーが飲みたいとか、二日酔いで吐き気がするとか、ンコがしたいとか、何か出てくるものなんだよ。

あたしの場合自分が苦しくて始めたもんだから、初日から人や世の中への恨みが一杯一杯出てきて、何日もそれは続いた。でもそれを何日も続けているうちに、人への断罪や闘争心にもう飽きて、では自分はどうしたい、なりたいかがいい加減出てくるんだ。そんな作業を続けているうちに徐々に隠された自分というものが立ち現れてくる。そうなったら面白いようにスルスルといろいろ出てくる。何でもかんでも。いつの間にかノートに書かなくてもいろいろ活動して生きたくなって来るんだ。おもしろい。

だからあたしは日々思考すること(=精神)の力をとても感じている。自分がどう生きるのかを日々イメージして生きるんだ。このイメージすることが大切で実際に自分がそれを生きている姿を具体的にビジュアルで見る事が大切なんだ。これはとてもとても楽しい作業。だって自分は夢を見ていいんだ、というか夢を見る事自体が目的であり、希望を見て生きるということなんだよね。

 

 

 

責めるということは、、

さてさて、ブログ利用法の先は見えませぬるが、まずはどんどん書いてゆきまする。何せアウトプットが足りないので始めたのですw

あたしは精神(思考=脳)と心は別にあると確信している。そして肉体は肉体で、やはり在るんだ。それがこの世に在る私たちなんだ。実はあたしは幼少時より所謂超能力があって、人が科学や理論で説明できない宇宙の事を実体験していて、一種アホみたいに確信を持って語っているんだけどさ。それは体験した事実だから100%疑いがないんだよ。そのかわり知らないことはただ単に知らない。精神・心・肉体なんかも、そういう出来事の中で得た情報からそう思うんだ。その辺のお話はたっぷりあるので、またそのうちしますね。

という訳でもないのだけれど、実は今、決断から逃げている事がある。しかも複数。その為に自分がどんどん追い込まれて、危うく自分を責めそうなところで、ギリギリに持ちこたえている。

自分の場合、そんな情けない弱い自分を鞭打って責めだすと暴力性と破壊力が強いので恐ろしいんだ。この破壊力はそれぞれの精神の強さによる。だからあたしは相当な戦士だ。でも実生活は肉体があるのでその通りにはいかないんだよ。そういうわけで体が受け止めきれずに死んでしまう人も結構多いんだ。ま、それで最初の話に戻るんだけどさ、精神が自己をあたかも客観的に責めるエネルギーって結構すごくて、心はまるで自分が暴力を受けていると勘違いしてボロボロになってしまうんだ。でも実は精神が責めて鞭打っているのは精神自身の単なる思考であり、脳の活動に対して後付で否定しているだけなんだ。でも暴力のバイブレーションは心に届いて作用しまうので注意が必要なんだ。

心は一切の悪気も憎しみも知らないのが心。肉親や兄弟を殺されても心は恨みを持てない。犯人の命が危なければそれを助けてしまうのが心。正義と憎しみと理性的な償いと復讐はすべて精神が生み出す活動。これは人間全てが殆どそう。なぜ殆どかと言うとそこは説明できない。そこがあたしのアホさなんだけど、でもそうなんだ。いつかまたあの世かどこか分かんないけどお知らせが来るかもしれないけれどね。w

さてだから、自分を批判的に思考するには注意が必要だ。よく頭を使えよ。あたし。思考は変えられる。一瞬にして。何の為の脳みそだ?なぜ今その行動をしているのか自分の中を探ってみる事。自分を責めることになる理由を作らない為に、何が起こってそうなっているのか、現実をよく見て選択してゆく事。では、その為にどの道を今から選ぶ?あたしよ。考えてごらん。あたしはもと虐待児。祖母から憎しみのシャワーを浴びせられた虐待児。あたしの親は幼児のあたしを守るより祖父母と離れることが出来なかったアダルトチルドレン。あたしはその子供。でも今はさ、もう大丈夫。あたしはあたしの親であり、何よりあたしはあたし自身のかけがえのない親友だよ。だから大丈夫。

 

ごあいさつ系w

ううむ、チキショー、、あたしはいろんな事が両刀使いなんだけどさ(ダハww)、コンピューターもそうでさ、MacWindows両方ともいけるし、しっかり良いとこ取りで上手い事利用してる。それでね、ここのところ本業の音楽もあってずっとMacでバリバリ作業中だったのに、な・ぜ・か、 毎度wi-fiがダウン。で、またWinに持ち替えてこの記事も書いてる。もうコンピューターってキホンめんどくせー。

ん?こんなこと書くために新しくブログ開設したんか、あたしゃ。

ちゃうちゃうちゃう、、

つーかさ、

表の姿、つまりアーティストとしては発言しにくい色々があるという事と、あと自分が息抜きで所属している会員制トランスジェンダーSNSでさえ、その閉じた場所ゆえに何となく書きにくい事もあるなあという理由で、ここで自由に何でも書こうと思ってるんだ。何でもやり放題w

よろしくなりよw